フィリップ・K・ディックと東洋古典。荘子です。 ハリウッド映画と荘子の関係について、わけのわからんことをやっておりますが、今年は当たり年じゃないかと思っています。ただ単純にヨーロッパもアメリカの経済的な事情を見ても、比較的安定している東アジアの市場に目を向けたいし、特にハリウッドの場合には、今までのようにお金を使えなくなってきているので、ネタとしても老荘思想に目を向ける比率は高くなるのではないかと思っています。 特徴的なのが、 『トータル・リコール(Total recall 2012 )』です。 アーノルド・シュワルツェネッガーの主演でヒットした作品のリメイクですが、20年前の『トータル・リコール』は、特殊技術を駆使した奇抜な世界観と、予定調和を絶えず破壊しながら進むストーリーの作品として受け取られやすい仕上がりになっていました。 参照:TOTAL RECALL TRAILER 1990 http://www.youtube.com/watch?v=WFMLGEHdIjE アクションや特殊技術に目を奪われがちですが、本来は、こんな話でしょ? 参照:淀川長治~トータルリコールの紹介 http://www.youtube.com/watch?v=WytWylsB7HU “Science Fiction”としてのSFであって“Space Fantasy”として観ると薄っぺらい話になってしまいます。火星に行きたいという夢を叶えるために「記憶を書き換える」というこの作品、『インセプション』とテーマが同じものですよね。 参照:インセプションと胡蝶の夢。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5062/ 夢と記憶の東洋古典。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5123/ 最低でも、こういったテーマに関して、東洋には文化的な環境がもともとあることについては、私は確信しています。 で、『トータルリコール』の原作『追憶売ります(We Can Remember It for You Wholesale 1966)』には、こういう描写があります。 ≪「なあ、おれは火星に行ったのか?教えてくれないか、おまえなら知っているだろう」クウェールはそうたずねた。 「行くもんですか。行けるはずがないじゃない。それぐらいあんただって分かってるはずでしょ?いつだって行きたい行きたいって泣き言並べてるんだから。」 「それがなあ、じつは行ったような気がするんだ」一呼吸して、つけたした。「一方でまた、実は行かなかったような気もする」 「どっちかに決めたら?」 「決められるものか」彼は頭を指さした。「この頭の中には、二通りの記憶が刻みつけられているんだ。一方は現実、一方は非現実。だがおれにはどっちがどっちだか分からん。」(以上フィリップ・K・ディック著『追憶売ります』より引用)≫ 参照:インセプションと荘子とボルヘス。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5074/ 昔者荘周夢為胡蝶、栩栩然胡蝶也、自喩適志與。不知周也。俄然覚、則遽遽然周也。不知周之夢為胡蝶與、胡蝶之夢為周與。周與胡蝶、則必有分矣。此之謂物化。(『荘子』斉物論 第二) →昔、荘周という人が、蝶になる夢をみた。ひらひらゆらゆらと、彼は、夢の中では当たり前のように蝶になっていた。自分が荘周という人間だなんてすっかり忘れていた。ふと目覚めると、彼は蝶の夢から現実の人間・荘周に戻っていた。まどろみの中で、自分は夢で、蝶になったのか?実は、蝶の夢が自分の現実ではないのか?そんな考えがゆらゆらとしている。自分は蝶だったのか、蝶が自分であることなんて・・自分と蝶には大きな違いがあるはずなのに・・これを物化という。 結局、春の夜の夢の如しってことでしょ? 参照:荘子と『水槽の脳』。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5075/ というわけで、 フィリップ・K・ディック(Philip Kindred Dick 1928~1982)であります。『トータル・リコール』、『ブレードランナー』、『マイノリティ・リポート』と、現代でも数々の作品が映画化されるSF作家です。「夢」と「現実」、特に現実の儚さについて、西洋人の中で彼ほど多くの作品を残した作家もいないんじゃないでしょうか? 参照:Wikipedia フィリップ・K・ディック http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BBK%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF ディックの場合は、 『高い城の男』で、俳句が出てくるのは分かるとしても、日本人も含めた登場人物が、おもむろに『易経(I Ching))』を使い出したりと、おなかいっぱいです(笑)。ディック本人も言っているように、作品中だけでなく、日常的に「易」を活用しているくらい入れ込んでいました。 参照:Interview with Philip K. Dick http://www.philipkdickfans.com/literary-criticism/frank-views-archive/vertex-interview-with-philip-k-dick/ 日本人の教科書的な理解によれば、「四書五経」の中に数えられ、その解釈も朱子学の祖、朱熹の『周易本義』に依存していることから、『易経』を「儒教(Confucianism)」の枠組みで考えたがるものですが、西洋人の場合、ディックもそうであるように「道教(Taoism)」と捉えています。『高い城の男』の中で登場するのは「擲銭法」と呼ばれる手法で、筮竹を使う占いではなくてコイントスによる占いです。これは青島で中国古典の研究をしていたリヒャルト・ヴィルヘルムの著作に触発されて、ユングも活用していたもので、おそらくディックもユングの影響から始めたんだと思います。 参照:How To Consult The I Ching http://www.youtube.com/watch?v=PMj-wgSrJAY 同時代の作品でいうと、 『ゲド戦記』の作者アーシュラ・K・ル・グウィンの『天のろくろ(The Lathe Of Heaven 1971)』が挙げられます。こちらも「夢」と「現実」についてのテーマがディックの作品群とよく似ていて対比されるものなんですが、ル・ヴィンの『天のろくろ』というのは、荘子の寓言篇にある「天均(てんきん)」という言葉の直訳です。こちらは間違いなく『荘子』の思想からです。 参照:量子力学と荘子。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5057/ ディックとル・ヴィンは、もともと同じ学校の同級生だったらしいんですが、 彼らが共に、ユング心理学に強く影響を受けていて、それを彼ら自身も認めているという点に注目しています。しかも、両者ともに、ユングの思想を理解するのに老荘思想を読み込んでいるところが面白い。ル・ヴィンの『ゲド戦記』は、まさに老荘思想といった趣ですが、ディックの作品も「胡蝶の夢」だけでなく「無用の用」の活用が見られます。 参照:八雲とユングと胡蝶の夢。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5049/ エヌマ・エリシュと老荘思想。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5051/ 共時性と老荘思想。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5093/ ユングと鈴木大拙。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5095/ ・・・1950年代以降、特にビートジェネレーションやヒッピーカルチャーに代表される60年代の東洋思想の流行の中で、『易経』『老子』『荘子』は本当によく読まれていたんですよ。 参照:老荘思想(Tao)とビートルズ(The Beatles) http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5036/ で、 今、一番老荘をやってくれているな、と感じているのが、クリストファー・ノーランでして、『インセプション』や『メメント』のように夢や記憶にまつわるものだけでなく、他のテーマも扱ってくれます。 跖曰「何適而無有道邪。夫妄意室中之蔵、聖也。入先、勇也。出後、義也。知可否、知也、分均、仁也。五者不備而能成大盜者、天下未之有也。」(『荘子』胠篋 第十) →盗跖(とうせき)曰く「泥棒に道があるかって?そりゃ、どこに行くにも道はあるさ。部屋に何が置かれているかを推理できるのが聖。押し入るときに先頭に立てるのが勇。出るときにしんがりをつとめるのが義。うまくいくための作戦を立てるのが知。分け前をきっちり公平にするのが仁だ。この五つの徳がなけりゃ、天下の大泥棒になれるわけはねえよ。」 参照:THE DARK KNIGHT (2008) - Bank Robbery Scene http://www.youtube.com/watch?v=v3-ClsRE9Yk&feature=related ・・・『ダークナイト』のテーマって、一言で言うと「大道廃れて仁義あり」ですよね? 参照:孔子と荘子と司馬遷と。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5029/ 今日はこの辺で。 ジャンル別一覧
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